老いるオイル

小学校の頃、二学期が始まってすぐ便箋が配られ、教師は言うのだ。「では、おじいさん・おばあさんに手紙を書きましょう」と。おじいさん・おばあさん達が敬老会を開くので、そこで地元の小学生からの手紙をプレゼントする、という恒例行事だった。誰に届くか解らない手紙を書かなくてはいけないのだ。

おじいさん、おばあさん、お元気ですか?

…とりあえず手紙にお決まりの「お元気ですか?」を書く。で、何を書こうか?と迷う。迷うので、とりあえず自己紹介。そして自分の家のおじいさん・おばあさんのことを書く。

私は、○○○小学校の4年生の羊といいます。うちにもおじいさんとおばあさんがいます。80才と70才です。ゲートボールをしたり、畑仕事をしています。おじいさん・おばあさんもゲートボールをしますか?

ようやく7割くらい埋まったので、そろそろ締めにかかる。

ではおじいさん・おばあさん、いつまでも元気で長生きしてください。

と、終わる。いつもこの「いつまでも元気で長生きしてください」というのが違和感があって嫌だった。

老人と一緒に暮らした経験のある人なら思っている人も多いだろうと勝手に想像しているんだけども、身近に老人がいるとどうも老いるって事がものすごく疎ましく感じ、小学生くらいになると絶対長生きなんてしたくないと思っていて、今もその気持ちは変わらない。たぶん老いが生活に密着しているからだと思う。結婚するまでの3年あまり実家で過ごして、私の「長生きしたくない願望」は決定的になった。仕事の休みの前の日の食卓は地獄だった。「羊ちゃん、明日は出かけるの?」と。病院に連れて行かなくてはいけないのだ。内科から整形外科から病院のハシゴ。あまりにもそれが続くので休みなのに仕事に行くフリをした事もあるし、友達と遊ぶ約束があると嘘をついて出て行った事もある。それでも体が辛いなら…と我慢して何度かは付き添ったし、仕事があっても急遽休みを貰って連れて行くこともあった。

そこまで人の手を煩わせてまで私は生きたくないけど、しかし「私って長生きしたくないんです」とおおっぴらに言うのは何か罪悪感があって言えない。何か「長生きしたい」と思うのが普通でしょみたいな空気があるし。特に家族には言えない。それでも一度人に言うと「でもきっと年を取ると欲が出てきて長生きしたくなるよ」と諭された。なるほど、まだ子供はいないけど子供が生まれたら子供の成長が楽しみになり、そのうち子供が適齢期になったら孫の顔が…って風にか。でもたぶん年老いた私は自分が若い頃感じたあの違和感を自分の子供たちが感じているのでは…とうっすら思うんだろうな。